西山荘は水戸徳川2代藩主光圀が職を辞してからそこに隠棲した山荘である。 彼は元禄4年(1691)年から逝去した元禄13年(1700)までの10年間をそこで大日本史の 編纂に打ちこむ傍ら、領内各所を巡視して民政の実をあげるのに熱心であった。 光圀の死後火災で焼失したが、文政2年(1819)に規模を縮小して再建された。 現存する西山荘は木造萱葺き平屋建てで総建坪115平方メートルであり、県指定史跡である。 庭には築山が築かれ、心字池が掘られている。 国道293号線から西山荘までは公園として整備されており、朱舜水の碑や休憩所などがある。 新宿町。(常陸太田駅から2.5キロ)
- 西山荘 朱舜水の碑 久昌寺へ