常陸太田の史跡13

都々逸坊の碑

都々逸の創始者都々逸(一)坊扇歌は文化元年(1804)常陸太田の医師岡玄策の次男として
生まれた。彼は三味線を手にして諸国を放浪し、刻苦勉励、生まれつきの美声と頓智で江戸
の人気を独占し、幕末のタレント的存在であった。
しかし当時の政権を風刺した狂歌がもとで追放され、嘉永元年(1852)石岡で不帰の客となった。
昭和32年(1857)生誕155年を記念して生地に碑が建てられた。傍の小碑には
「磯部たんぼのばらばら松は 風も吹かぬに気がもめる」という彼の唄が刻まれている。
近くを流れる源氏川の川原敷には春になると菜の花が満開になる。
磯部町。(常陸太田駅から約2.5キロ)

 
-   都々逸坊の碑      源氏川の菜の花
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