平安時代の末期、新羅三郎義光の孫昌義は佐竹郷に永住して佐竹氏を名乗り、 馬坂城(間坂城)を築いた。 馬坂城は約6千平方メートルの敷地に3つの曲輪を設けた平山城で、山田川に 面し3方を高さ30メートルの崖で囲まれた高台にあり、自然の要害であった。 城は3代隆義が舞鶴城に移った後は佐竹一族が住んでいたが、慶長7年(1602) の秋田転封によって廃城となった。 現在巨館跡の畑の中に馬坂城跡碑が建てられている。 なお城内には縄文時代前期のものと見られる間坂貝塚がある。 天神林町。(常陸太田駅から2.5キロ)
馬坂城跡碑 都都逸坊の碑へ