黒前の山
 常陸国風土記にみる黒前(くろさき)の山は、いま竪破山(たつわれさん)と呼ばれている標高658メートルの巨石の多い山です。黒坂命(くろさかのみこと)は、蝦夷征討から帰る途中、角枯の山で病に倒れ亡くなりました。そのため角枯の名は、黒前の山と改められました。竪破山は、山全体が露出した岩石でできています。往昔は「つのがれ山」といって巨石信仰の霊場でした。竪破山には七奇石といわれる「烏帽子石・畳石・甲石・舟石・胎内石・神楽石・太刀割石」がありますが、ここでは「神楽石」を除く六つの奇石を今回登山した順に紹介します。
 今回取材は、竪破山の登山口駐車場に9時集合、霧の濃い山でしたが12時前に下山しました。下山後の3人の歩数計は、いずれも9千歩を少し越えたカウントでした。
      ・期日  平成31年4月24日(水)
      ・場所  日立市十王町黒坂
      ・取材  きららホームページの会(佐藤廣子、菊池誠、近藤恵美、宇梶秀夫)
山を登りはじめて最初の大きい石は不動石です。高さ1.5メートルの石の上に不動明王の石像が祀られています。この石像は明治になってから祀られたもので、もともとは黒前神社の祭神が浜降りの時、神輿の休み場所だったそうです。
七奇石の一つ烏帽子石です。八幡太郎義家がこの山の神霊に参拝した時にかぶっていた時の烏帽子に似ていたのでその名が付けられたといいます。周りの杉林は濃い霧に包まれています 。
手形石で、石いっぱいに右手の5本指が深くえぐられているように見えます。
 二つ目の奇石は畳石です。畳石は写真の名札の石でなく、奥にある石です。畳を積み重ねたように大きい石が横に四段に裂けるように割れています。竪破山で修行中の修験者が座禅をした石ともいわれています。
 三つ目の奇石は太刀割石です。黒前神社には仁王門から登りますが、その下にある弁天池脇の四阿で小休止しました。それから寄り道してここ太刀割石に廻りました。今回省略しましたが、七奇石の一つ神楽石はここからさらに先にあります。八幡太郎義家が戦勝祈願でこの石の前に陣を張って野宿した際、夢に黒坂命が現れ、一振りの刀を授かったといいます。この刀で義家が割ったというのが太刀割石です。太刀割の名称は元禄6年(1693)に徳川光圀がこの山に登った折、付けたそうです。それ以前は「磐座」といわれていました。
 仁王門から85段ある石段を登ると広さ3百坪もある広場になっています。写真は四つ目の奇石、甲石です。その手前の半分土に埋まったような石が五つ目の奇石、舟石です。甲石にはくりぬいたほこらがあります。扉が半開きで中に、十二神将像がありました。現存するのは六体で、別の所に保存されているようです。
 甲石の広場には、木造の建物の釈迦堂があります。その建物脇に176段もある石段の参道があり、それを登ると黒前神社拝殿です。本殿は石造りで、黒坂命を祀っています。
 七奇石の六つ目は胎内石です。標高658メートルの山頂には展望台があります。そこから、2カ所ほどロープで伝え降りる急な坂を下りる途中に胎内石があります。黒坂命が弱った身体を休めたところと説明板にあります。胎内石の全体は大きな石で写真に納めきれないような大きさでした。胎内石に降りる途中には、樹齢400年の胎内杉というスギの巨木が立っています。頂上からの下山には石段を使わず、脇の土の道を降りました。
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