常陸国風土記にみる高市の地は特定ができていませんが、台地縁辺部に多くある古墳群に近いところ、高い場所にある見晴らしのよい物資の集散地に市があったとみられています。 ・期日 令和2年9月15日(火)・30日(水) ・場所 日立市南高野町・石名坂町 ・取材 きららホームページの会(菊池誠、近藤恵美、宇梶秀夫) |
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日立市茂宮町の水田から見た写真で、右方向が石名坂町です。正面に見える陸橋は、坂道を上る国道6号です。 | |
高市は見晴らしのよい高台にあったようです。南高野町の茶井戸稲荷神社近くから見た茂宮町の田園です。右方向に筑波山と加波山が見えます。 |
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日立市最大の前方後円墳の西の妻古墳1号墳です。手前の後円墳部の頂きには大きな木、根元に祠があります。この南隣りには円墳もあります。近くには西大塚古墳群や横穴墓があり、これらの古墳群から当時、かなり力のある勢力が存在して高市を取り仕切っていたのでは、とみられています。 | |
72年ごとに行われる金砂大祭礼では、担ぐ神輿が急峻な坂道の旧石名坂を上り、エノキの切株の上にその神輿を載せます。大祭礼があった平成15年3月に前のエノキは伐られ、その跡に先代の実生から育てたエノキは17年が経ち大きくなりました。 | |
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