田尻学区の変遷


田尻学区の変遷を下の図表で示してあります。
また主な出来事が年表にしてあります。
作成: 田中 昭(相田町)
主要年表

江戸時代まで
旧石器時代 (BC7000-6000) 田尻浜橋の作遺跡から石器が見つかる。
縄文時代 (BC2500) 田尻上の代遺跡から竪穴住居跡が見つかる。
成務帝治世 (4世紀頃) 建御狭日命(たてみさひのみこと)を多珂国造に任じたとされる。
養老年間 (717-723)「常陸国風土記」に飽田、仏乃浜の記事が入る。
天平19年 (747) この頃多珂郡伴部郷田後村と称する。
弘仁 3年 (812) 田尻駅家が設けられる。 文治 元年 (1185) 源頼朝が宇佐美祐茂を多珂郡の地頭に任命する。
弘安 8年 (1285) 霜月騒動により、多珂郡は北条氏領となる。
建武 2年 (1335) 佐竹貞義が常陸守護となる。
文明17年 (1485) 田尻館主相田藤八郎が静原で岩城軍と戦い敗れる。
大永 5年 (1525) 種殿神社が造営される。
天正18年 (1590) 佐竹氏が常陸を統一する。
慶長 7年 (1602) 関ヶ原の戦いに敗れて佐竹氏が秋田に国替えとなり、水戸藩が成立する。
寛文 6年 (1666) 徳川光圀の寺院整理により、田尻の寺院は観泉寺以外廃される。
元禄10年 (1697) 徳川光圀が田尻を訪れ、橋を掛けて栄蔵小屋に渡る。
同 年 光圀の命で大宝院が空窪寺に改名する。
天保 4年 (1833) 大暴風雨のため、栄蔵小屋や津の宮が海中に没する。
天保 7年 (1836) 相田の高台に見張り番所を置き、海防にあたる。
たじりの風土記・日高郷土誌・新修日立市史より

明治・大正時代
明治 4年 (1871) 廃藩置県により茨城県が誕生し、田尻村は多賀郡に入る。
明治 6年 (1873) 田尻村字台に發蒙舎が創立される。 翌年、田尻小学校と改称する。
22年 (1889) 田尻村と小木津村が合併、多賀郡日高村となる。
30年 (1897) 常磐線、水戸から平までが開通する。

昭和時代

昭和11年 (1936) 権現山に東光院が、鹿島郡より移される。
14年 (1939) 日立市と助川町が合併、日立市となる。
30年 (1955) 日高村が日立市に合併、田尻町と小木津町になる (のち小木津町から日高町が分かれる)。
36年 (1961) この頃、6号国道小木津バイパスの建設が始まる。(昭和40年完成)
39年 (1964) 上相田団地造成はじまる。以後、田尻宿・相田・田尻浜に、多くの団地造成が行われる。
52年 (1977) 田尻小学校が日高小学校より分かれ開校し、田尻学区がスタ-トする。
63年 (1988) 老人福祉センタ-「はまぎく荘」が創設される。

平成時代
平成 2年 (1990) 小木津町より相田町が分かれ、田尻学区は田尻町と相田町になる。
5年 (1993) 田尻町よりかみあい町が分かれ、滑川学区に移る。
7年 (1995) 田尻コミュニティセンタ-が開館する (のち田尻交流センターと改称)。
8年 (1996) 「たじりの風土記」が完成し、学区内の全世帯に配布される。
たじりの風土記より


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