助川地区の概要


助川 の地名の由来

 『常陸国風土記』 久慈郡の条 此 (密筑里(みつきのさと)) より(ひむがしきた)卅里に、 助川駅家(すけかはのうまや)あり。 昔は遇鹿(あふか)と号く。 古老曰へらく、「倭武天皇、此に至りたまひし時に、皇后、参りたまひき。因りて名づく。 宰久米の大夫の時に至りて、河に(さけ)を取らむと為て、 改めて(すけ)と名づく」 といへり。〔俗の語に、鮭の(おや)を謂ひて「すけ」とす。〕

 助川駅家は、養老3年(719)に石城国 (現福島県、宮城県) に設置された海道10か所に連結するため当郷に置かれたが、 陸奥国の海道の駅家の廃止に伴い、弘仁3年(812)に廃止された。
日立市助川町 塙台から田手沼に至る台地から布目瓦が出土するので、この付近に駅家が存在したと考えられる。 現在の宮田川以南の日立市 助川町、会瀬町、鮎川町周辺に比定される。  この助川 (現在の宮田川) は久慈郡と多珂郡の境とされた。

 現日立市 助川町がその遺称地であり、その東側海岸寄りには相賀(あいが)町、会瀬(おうせ)町の地名も残る。  現在は日立市の中心部であり、日立市役所をはじめ、日立製作所関連の施設や多くのビルが立ち並んでいる。



助川学区のおおよその境界と隣接の学区

 の境は、高鈴少年広場 から 常磐自動車道の 平沢トンネル あたり。
  以北は、宮田学区仲町学区
 の境は、国道6号山側の 日立市役所。
   また 平和通り の 銀行前バス停留所あたりまで。
   また けやき通り の山側、海岸工場入口バス停留所あたり から 兎平まで。
  以東は、中小路学区会瀬学区
 の境は、国道6号の山側 兎平までだが、海側の 兎平郵便局・童仙寺も域内。
  以南は、成沢学区
 西の境は、常磐自動車道より山側の 金山百体観音 あたり。
  以西は、中里学区

詳しくは 日立市立小学校 学区一覧 を参照下さい。



助川小学区 と 平沢中学区 ・ 助川中学区

仲町小学校 駒王中学校
平沢中学校
助川小学校
助川中学校
会瀬小学校


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