木造釈迦如来三尊像(もくぞうしゃかにょらいさんぞんぞう)

木造釈迦如来三尊像 ( 茨城県指定文化財 )
木造釈迦如来三尊像

 大雄院の本尊である 釈迦如来坐像は 像高49cm 総高138cm、
普賢菩薩坐像と 文殊菩薩坐像は ともに 像高30cm 総高78cm。
 通常 釈迦如来の頭部は ちぢれた髪の毛を示す螺髪(らほつ)で覆われ、
椀を伏せたような肉髻(にっけい)で 頂部がかたちづくられている。
ところが 大雄院の釈迦如来像は 頭部に宝髻(ほうけい)を結び 宝冠を戴く
宝冠釈迦如来像である。両脇侍(きょうじ)もやはり宝冠を戴いている。

三尊像は いずれも桧材の寄木造りで 室町時代 (15世紀中頃) の作
と推定されている。

 この三尊像は 大雄院二世でもある 信中永篤(しんちゅうえいとく) が 1474年(文明6年)
信州 森 (長野県千曲市・旧 更埴市)の 華厳寺の本堂を創建した時
大雄院の 開山 南極寿星(なんぎょくじゅせい) が本尊として贈ったものであった。
 その後 華厳寺が廃寺となり、この三尊像は 信州 松代の長国寺に 移されていた。
ところが、たまたま釈迦如来像と蓮華座の間から 
三尊佛寄進記
三尊仏寄進記古文書
   三尊佛寄進記

文明六甲午年四月八日 當寺本堂

創建落慶の入佛本尊として 杉室天童

山大雄院 本師南極寿星和尚より 遥

遠に此の由緒ある三尊佛を贈り賜うもの也

  文明六甲□□四月吉祥日

   華厳寺 守塔

       信中永篤 記す

と記された古文書が発見された。
このため三尊像は 1960年(昭和35年) 6月 ゆかりの大雄院に486年ぶり
に帰ってきたのである。

 なお 大雄院の本尊があった華厳寺の地元 千曲市(旧更埴市) 森 は 5km四方の山里に10万本の花が咲く "あんずの里" と称されている。 国道6号 日立市役所前から けやき通り 中小路小前に至る通りに、 日立市内の造園業者が 旧更埴市の苗木業者から購入して 納入した アンズの苗木によって 1965年(昭和40年) 3月 珍しい果樹の並木 "あんず並木通り" が造成されている。

 日立市郷土博物館 2007年8月10日 ふるさと講座 「大雄院と信濃華厳寺」 榎本 實講師 より
                        ( 文責 吉田 稔 )
参考資料 : 水庭久尚 「大雄院物語」 天童山大雄院開山五百年記念誌 ( 1973年5月 )      : 榎本 實 
資料紹介
 文明六年の 「三尊佛寄進記」 市民と博物館 第84号 ( 2007年9月30日 )

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