年 | 元 号 | 項 目 |
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717~ 723 |
養老年間 | 常陸国風士記に助川(宮田川)で鮭が取れたとある。 |
1087 | 寛治元年 | このころ、八幡太郎義家が奥州征伐の折、当地を通ると伝えられる。 |
1889 | 明治22年 | 町村制の施行で宮田村と滑川村が合併して日立村となり、助川村と会瀬村が合併して高鈴村になる。 |
1897 | 明治30年 | 日本鉄道磐城線(私鉄)(水戸~平間)が開通し助川駅が開業する。 |
1898 | 明治31年 | 助川新道(銀座通り)が2間(3m62)道路に払幅される。 |
1907 | 明治40年 | 東京の関清英が助川セメント製造所を創業する。 |
1908 | 明治41年 | 助川~大雄院間に日立鉱山専用電車が運行を開始する。 |
1913 | 大正 2年 | 日立電気株式会社が創業。石油ランブに別れを告げる。 |
1914 | 大正 3年 | 日立村、高鈴村に電灯が灯る。駅が海岸□に移転する。第一次世界大戦始まる。 |
1915 | 大正 4年 | 煙害対策の日立鉱山大煙突(155.7m)が完成する。 |
1916 | 大正 5年 | 助川駅跨線人道橋(木造長さ50m幅10081)が開通する。 |
1920 | 大正 9年 | 第1回国勢調査が行われる。日立村は6,103戸25,265人高鈴村は2,090戸8,400人。 |
1923 | 大正12年 | 電話が開通する。関東大震災が起こる。 |
1924 | 大正13年 | 日立村が日立町となる。 |
1925 | 大正14年 | 高鈴村が助川町となる。私立助川裁縫女学枝が開校する。 |
1927 | 昭和 2年 | 県立日立中学枝(日立一高)が開校する。日立電力株式会社が創業。 |
1929 | 昭和 4年 | 助川新道に大火。ドイツの飛行船ツェッペリン伯号が飛来する。 |
1930 | 昭和 5年 | 日立製作所海岸工場竣工。助川新道が6間(10m86)幅道路になる。 |
1931 | 昭和 6年 | 私立助川裁縫女学校が助川高等家政女学枝(日立女子高)と改称。 |
1934 | 昭和 9年 | 助川駅跨線人道橋が幅9尺(2m72)の鉄骨造りになる。 |
1936 | 昭和11年 | 日立ガス株式会社が現在地に創業。石炭よりガスを製造する。 |
1937 | 昭和12年 | 日立バス株式会社が設立される。日中戦争始まる。 |
1939 | 昭和14年 | 日立町助川町が合併して日立市となる(全国で151番目、戸数13,452、人□70,582)。
助川駅が日立駅となる。 |
1940 | 昭和15年 | 日立市中小路尋常小学校が開校する。日製が日立水道株式会社を設立。 |
1941 | 昭和16年 | 駅弁が売り出される。日立電鉄株式会社設立。太平洋戦争始まる。 |
1945 | 昭和20年 | 日立市が1トン爆弾、艦砲射撃、焼夷弾双撃、機銃掃射をうける。
8目15日太平洋戦争終戦。9月の総人□3万人に激変する。 |
1946 | 昭和21年 | 昭和天皇が日立市に行幸。駒王国民学校が廃校、跡地に日立女子高。 |
1947 | 昭和22年 | 6・3制実施、日立市立中小路小学校となる。キャスリン台風が襲う。 |
1948 | 昭和23年 | 日立水道株式会社が市営となり、市水道が発足する。 |
1949 | 昭和24年 | 日立市立駒王中学校が開校する。 |
1950 | 昭和25年 | 市内で最初の「前の内児童公園」ができる。朝鮮戦争始まる。 |
1951 | 昭和26年 | 県道日立停車場線「平和通り」が開通、桜の植樹始まる。 |
1952 | 昭和27年 | 数沢川の埋立て工事開始。後に「あんず並木通り」となる。
新日立駅(現、中央□)が完成。駅前広場、平和通りが整備される。 |
1953 | 昭和28年 | 中小路幼稚園開園。旭町の常磐線立体交差道が完成、踏切が廃止。
中小路小学校が不慮の火災で16教室を焼失する。 |
1955 | 昭和30年 | 新日立市誕生(1市2町4村合併)翌年豊浦町が編入する。 |
1960 | 昭和35年 | 無賃の鉱山電車が廃止。職安が移転してくる。カラーTV放送開始。 |
1963 | 昭和38年 | 常磐線日暮里~平間が電化される。 |
1964 | 昭和39年 | 東海道新幹線開通。東京オリンピック開催。 |
1965 | 昭和40年 | あんず並木造成される。
« 大雄院の 釈迦如来三尊像 と あんず並木 »
「あんす並木を育てる会」ができる。 |
1967 | 昭和42年 | 高萩税務署が日立税務署となり若葉町に移転してくる。 |
1969 | 昭和44年 | 公共下水道事業始まる。 |
1970 | 昭和45年 | 「宮田川をきれいにする会」(宮田、仲町、中小路)ができる。 |
1972 | 昭和47年 | 銀座通りが歩行者天国となる。旭町1丁目に日立駅東跨線人道橋開通。 |
1974 | 昭和49年 | 人□20万都市となる。 |
1977 | 昭和52年 | 「中小路学区市民運動推進会」ができる。 |
1985 | 昭和60年 | 日立駅前士地区画整理事業着手。常磐目動車道が「日立北」まで開通。 |
1988 | 昭和63年 | シビツクセンターの建設に着手。「中小路を住みよくする会」に改称。 |
1990 | 平成 2年 | シビツクセンターがオーブン。駅前日立新都而広場(パテイオ日立)も完成。 |
1993 | 平成 5年 | 「日立中央」インター開通。2月19日暴風で大煙突が倒壊(現存54m)。 |
1994 | 平成 6年 | 日立駅跨線人道橋(エスカルロード)が開通する。 |
1995 | 平成 7年 | 戦後50年「平和の鐘」建設、市内に20万本のひまわりが咲く。 |
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