中小路のマップと年表

(マップ1996年3月より)

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略 年 表
元 号    項  目
717~
723
養老年間 常陸国風士記に助川(宮田川)で鮭が取れたとある。
1087 寛治元年 このころ、八幡太郎義家が奥州征伐の折、当地を通ると伝えられる。
1889 明治22年 町村制の施行で宮田村と滑川村が合併して日立村となり、助川村と会瀬村が合併して高鈴村になる。
1897 明治30年 日本鉄道磐城線(私鉄)(水戸~平間)が開通し助川駅が開業する。
1898 明治31年 助川新道(銀座通り)が2間(3m62)道路に払幅される。
1907 明治40年 東京の関清英が助川セメント製造所を創業する。
1908 明治41年 助川~大雄院間に日立鉱山専用電車が運行を開始する。
1913 大正 2年 日立電気株式会社が創業。石油ランブに別れを告げる。
1914 大正 3年 日立村、高鈴村に電灯が灯る。駅が海岸□に移転する。第一次世界大戦始まる。
1915 大正 4年 煙害対策の日立鉱山大煙突(155.7m)が完成する。
1916 大正 5年 助川駅跨線人道橋(木造長さ50m幅10081)が開通する。
1920 大正 9年 第1回国勢調査が行われる。日立村は6,103戸25,265人高鈴村は2,090戸8,400人。
1923 大正12年 電話が開通する。関東大震災が起こる。
1924 大正13年 日立村が日立町となる。
1925 大正14年 高鈴村が助川町となる。私立助川裁縫女学枝が開校する。
1927 昭和 2年 県立日立中学枝(日立一高)が開校する。日立電力株式会社が創業。
1929 昭和 4年 助川新道に大火。ドイツの飛行船ツェッペリン伯号が飛来する。
1930 昭和 5年 日立製作所海岸工場竣工。助川新道が6間(10m86)幅道路になる。
1931 昭和 6年 私立助川裁縫女学校が助川高等家政女学枝(日立女子高)と改称。
1934 昭和 9年 助川駅跨線人道橋が幅9尺(2m72)の鉄骨造りになる。
1936 昭和11年 日立ガス株式会社が現在地に創業。石炭よりガスを製造する。
1937 昭和12年 日立バス株式会社が設立される。日中戦争始まる。
1939 昭和14年 日立町助川町が合併して日立市となる(全国で151番目、戸数13,452、人□70,582)。
助川駅が日立駅となる。
1940 昭和15年 日立市中小路尋常小学校が開校する。日製が日立水道株式会社を設立。
1941 昭和16年 駅弁が売り出される。日立電鉄株式会社設立。太平洋戦争始まる。
1945 昭和20年 日立市が1トン爆弾、艦砲射撃、焼夷弾双撃、機銃掃射をうける。
8目15日太平洋戦争終戦。9月の総人□3万人に激変する。
1946 昭和21年 昭和天皇が日立市に行幸。駒王国民学校が廃校、跡地に日立女子高。
1947 昭和22年 6・3制実施、日立市立中小路小学校となる。キャスリン台風が襲う。
1948 昭和23年 日立水道株式会社が市営となり、市水道が発足する。
1949 昭和24年 日立市立駒王中学校が開校する。
1950 昭和25年 市内で最初の「前の内児童公園」ができる。朝鮮戦争始まる。
1951 昭和26年 県道日立停車場線「平和通り」が開通、桜の植樹始まる。
1952 昭和27年 数沢川の埋立て工事開始。後に「あんず並木通り」となる。
新日立駅(現、中央□)が完成。駅前広場、平和通りが整備される。
1953 昭和28年 中小路幼稚園開園。旭町の常磐線立体交差道が完成、踏切が廃止。
中小路小学校が不慮の火災で16教室を焼失する。
1955 昭和30年 新日立市誕生(1市2町4村合併)翌年豊浦町が編入する。
1960 昭和35年 無賃の鉱山電車が廃止。職安が移転してくる。カラーTV放送開始。
1963 昭和38年 常磐線日暮里~平間が電化される。
1964 昭和39年 東海道新幹線開通。東京オリンピック開催。
1965 昭和40年 あんず並木造成される。 « 大雄院の 釈迦如来三尊像 と あんず並木 »
「あんす並木を育てる会」ができる。
1967 昭和42年 高萩税務署が日立税務署となり若葉町に移転してくる。
1969 昭和44年 公共下水道事業始まる。
1970 昭和45年 「宮田川をきれいにする会」(宮田、仲町、中小路)ができる。
1972 昭和47年 銀座通りが歩行者天国となる。旭町1丁目に日立駅東跨線人道橋開通。
1974 昭和49年 人□20万都市となる。
1977 昭和52年 「中小路学区市民運動推進会」ができる。
1985 昭和60年 日立駅前士地区画整理事業着手。常磐目動車道が「日立北」まで開通。
1988 昭和63年 シビツクセンターの建設に着手。「中小路を住みよくする会」に改称。
1990 平成 2年 シビツクセンターがオーブン。駅前日立新都而広場(パテイオ日立)も完成。
1993 平成 5年 「日立中央」インター開通。2月19日暴風で大煙突が倒壊(現存54m)。
1994 平成 6年 日立駅跨線人道橋(エスカルロード)が開通する。
1995 平成 7年 戦後50年「平和の鐘」建設、市内に20万本のひまわりが咲く。

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