令和5年3月12日
鮎川は高鈴山を源流として諏訪町を流れ、鮎川浜に流れる全長はおよそ11kmの2級河川である。鮎川はもと
諏訪川といわれていたが、水戸第2代藩主徳川光圀が多摩川の鮎を取り寄せて放流し、鮎の名所としたので鮎川
と呼ばれるようになった。
元禄2年(1689)徳川光圀は諏訪神社に参拝した際に水穴に入り、百メートルほど先にある三の戸という所まで
辿って「ここより入るまじ」と刻んだといわれている。
また、天保4年(1833)第9代藩主の徳川斉昭が初めて諏訪の地を訪れ自ら梅の木を植え、ここに梅林を作る
よう命じたといわれている。
更には日立鉱山と並んで諏訪鉱山があったことで上諏訪小学校ができ、その跡にかみすわ山荘が作られた。
今回、鮎川上流にはこのような歴史があるので探訪してみた。
期日 令和5年3月8日(水)
経路 諏訪梅林→北の沢→かみすわ山荘→
諏訪ダム→水穴→大平田鉱山跡
取材 嶋﨑・近藤・宇梶
出典 『ふるさと諏訪』 諏訪神社社務所
昭和60年5月1日発行