田尻浜の大日如来石塔由来

田尻浜の大日如来石塔

 現在では解読不可能ですが、写真の石塔銘文は、日立一高史学部報十九号 1972年 (昭和47年) に「田尻浜=大日如来□□塔 文化四 (1807年) 卯天吉祥日」 とあるそうです。
 大日如来は密教では太陽を象徴する仏さまとされています。『ひたち地方の伝説』【栄蔵小屋】の項で、「田尻浜の岬近くに住んでいる志賀シゲさん (77歳) の話では、むかしはこの明神さまに集まって天道念仏をやったという。」 と書かれています。
以前、1900年から1905年 (明治33年~38年) 生まれの方達に「念仏を唱えながら大きな数珠を廻していた。」 と聞いたことがあり、また、1905年 (同38年) 生まれの方に「10歳の頃、ばあさんらがやっていた記憶がある。」 と聞いていました。このように明治後年生まれの方達の話から、現在、海が一望できる見晴らしの良い、当 石塔や 津乃宮公園記念碑 があるこの所で、大正時代初期頃まで行なわれていたようです。天道念仏の天道は、おてんとうさま・太陽に通じ、太陽の恵みに感謝して念仏を唱え、五穀豊穣などを祈る信仰でした。

 一般的に天道念仏が行なわれた場所は、「天道塚」とか「天道山」と呼称される陽当たりの良い丘の上や山の上、そして、田尻浜のように海を一望できる高台の所が選ばれました。日立市日高地区に限っていえば、ザ・オーシャンゴルフ場左側の山が小木津西町の「天道山」で、日高幼稚園のある所も「天道山」 であったといわれます。
 会瀬港の北、相賀町舟入町では、「おてんとうさま」 と言い、2007年 (平成19年)まで行なわれていました。旧暦3月4日がその日でした。

2009年8月6日     大森政美


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