田尻でも 鵜取りが行なわれていました
田尻に限らず「海鵜」のことを
「ウガラス」と呼んでいます。
鵜ガラスは渡り鳥で、春には繁殖のため北海道方面に北上し、秋には越冬のため本州沿岸や九州
方面に南下します。
この時期、十王町伊師浜の岸壁で岐阜県長良川をはじめ全国の
鵜飼い場に送っている鵜の捕獲が行なわれていることは有名ですが、田尻浜や川
尻の小貝浜 (八幡太郎馬の足跡あたり) 、高萩市の高戸小浜 (明神山)
あたりでも鵜取りを行なっていたことが諸本にみられます。
田尻浜に限らずこれらの鵜取り場で
の捕獲は書かれた諸本の年代からみて、江戸時代の1700年代(享保年間)には行わ
れていたといわれます。
田尻浜での鵜取りについて、2008年3月 日立市郷土博物
館より発行されました 『道中記にみる江戸時代の日立地方』 に出ています「岩城便
宣」(享保15年=1730発行)と「松島紀行」(寛文12年=1672発行)に書かれています。
「岩城便宣」では、昔、蝦夷人がここにきて小屋を作り、ここで鵜取りを生
業としたとか、栄蔵がここで鵜を取ったなどの伝承が書かれており、また、栄蔵小屋
向こうに鵜取り島有り、などの記述があります。
「松島紀行」では、実際に見た鵜取りの様子が記述されています。
(平安時代末期、栄蔵法師という旅の修験僧が田尻浜
の小島に庵を建て修行したとの言い伝えから、その小島の名を「栄蔵小屋」と呼んで
いましたが、現在はありません。)
大正9年生まれの方によりますと、子どもの頃、俗称「常灯」の岸壁で
十王町友部の人が鵜取りをしていたと言われます。
2009年5月10日 大森政美記