旧 助川村 腰之塚の麦地蔵堂宇
旧 助川村 腰之塚 麦地蔵堂がある辺り、現在では 日立市高鈴町2丁目になっている。
地元と言われる腰の塚町内は、上 (坪)、下 (坪) に分かれており、腰の塚上が 6軒 ・ 同下が 12軒、計 18軒で地蔵尊を祀っている。
無病息災、厄除け、安産祈願に御利益があると言われ信仰されている。
以前は 旧暦6月24日が祭日であったが、現在 8月第1日曜日にお祭りが行われており、2009年度 (平成21年) は8月2日(日) に行われた。
当番は 富士権現 (以前の祭日は、旧暦9月1日であったが、現在は9月第1日曜日) の世話人を兼ね、下と上で交互に1年交代で行われ、当番宿も同じく1年交代で行われている。
お供え用の二重ね餅や お護符用のおしき餅は麦地蔵という名があるように、昔は大麦を粉にして作られていたと言われるが、それを経験した人はいない。
後、うるち米を持ち寄り世話人宅で搗いていたが、現在は、餅の注文を受けている店舗に頼んでいる。
前日、それぞれ当番になった坪内の婦人が当番宿に集まり、おしき餅を角餅に切ったり、茶菓子を袋詰めにしたりの準備を行う。
諸掛かり費用は町内会費からまかなわれる。
当日 午前8時30分頃、上、下両坪の人たちが集まり、大幟、供物、
御神酒、直会時の飲食物等々を持参して堂宇に赴く。
二重ね餅をお供えし、日天・月天が描かれた一対の大幟を立て、直会 (祭事が終わった後の酒宴) が行われる。
両大幟は同年代の作で 「奉拝日天 (月天) 五穀成就之所 弘化三年丙午春三月吉祥日 腰之塚坪」 との銘文がある。
用意された切り餅は、お参りに来た人にお護符として差し上げている。
袋詰めされた茶菓子は祭り終了後、18等分に切り分けられた供え餅や角餅と一緒にお護符として持ち帰られる。
祭りは2時間ほどで終了されるが 当番宿には戻らず 堂宇前にて散会している。
昔、数珠くりが行われていたと言われる。
『日立地方の伝説』 (柴田勇一郎著 1977年 発行) に 「旧暦3月15日、大幟を2本立て、坪内の年寄りが集まって麦地蔵尊の前で天道念仏が行われていた。」 と記述されている。
天道念仏に使用されていたと思われる 鉦 (直径約 50cm ・ 厚さ 15cm) があり、麦地蔵祭りに持参されている。
その鉦の銘文に 「水戸多賀郡助川邑腰之塚安全 天保九年戌七月吉日」 とある。
幟旗も天道念仏時に使用されていたものである。
天保9年は 西暦1838年であるが、その2年前の同7年5月に 水戸藩家老、山野辺義観が海防総司に任命され、助川に館を築き始めた年である。
また、弘化3年は 1846年であり、7年後の嘉永元年6月3日、ペリーが浦賀に来航するなどの時代背景があった。
2009年8月 大森政美 記