以前の町並み

JR日立駅は、以前は「助川駅」と呼ばれていました。明治30年に私鉄として開通し、後に国鉄となり、昭和14年に、日立町と助川町が合併して日立市(全国で151番目)となり、駅名も「日立駅」に成りました。

駅は海岸口で、鉱山の電車施設と接していました、広い荷扱い施設と、無料の電車乗り場(大雄院行き)がありました。この電車乗り場から、栄町が賑わい、町並みが山の方へ続いていました。

第2次大戦の敗戦後、戦火で多くを失っていた町は復興に向かい、区画整理による大通り、「平和通り」が生まれ、昭和26年頃から桜並木の育成が始まりました。

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1.助川駅前通の鉱山電車

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2.日立鉱山助川荷扱所(大正前期)

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3.日立鉱山助川駅電車乗車場(大正後期)

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4.助川停車場(昭和14年)

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5.日立駅からみる平和通り(昭和30年)

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6.助川新道通り(昭和14年)

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7.日立停車場線(平和通)昭和26年

 

8.左は数沢川を埋め立てた市役所前の拡張された道路(昭和55年)

写真は日立市郷土博物館のご厚意で使用しました。
写真1.2,3,4,6,7,は「日立の絵はがき紀行 筑波書林」、3:左合藤三郎氏、4:柴田孝寿氏、1、6:土岐善雄氏所蔵。
写真5:まち ひと くらし 日立市郷土博物館
写真8:写真集 明治・大正・昭和 日立 ふるさと日立刊行会編

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